いじめられっ子だった私が、40年後の今思うこと
小学校1年生と5・6年生、そして中学時代。私はずっと「いじめられっ子」でした。高校時代は除外します。あれは私にも悪いところがあったと反省しているから。ただ、演劇部で書いた台本をバクられたことだけは、今でも根に持っています。
「なじめなかった」のではなく、「なじめる準備を与えられなかった」
私は小さいころから太っていて、いろんな意味で目立つ子でした。さらに家庭ではネグレクト。
- 清潔感
- 最低限のひらがな
- 簡単な計算
- 人付き合いの基本
- 勉強の助言
こうした“学校生活の土台”になるものを、何ひとつ教わらないまま小学校に入学しました。そりゃ、なじめるわけがないんです。
加えて私はADHD。多動は出なかったけれど、忘れ物は多かった。だからといって、いじめていい理由にはなりません。でも当時は、暴力もいじめも「正当化されがち」だった時代。40年前の話です。
今思えば、私の「人嫌いだけど人当たりは良い」という不思議な性格は、この頃に形成されたのかもしれません。
SNS時代の“いじめ問題”は、誰が悪いのか
最近は、いじめの様子をSNSにさらすことが問題になっています。でも私は、いじめられっ子の立場からこう思うんです。
「嫌なら、いじめなければいい」
もちろん、拡散には法的な問題があるでしょう。警察は「いじめ動画を拡散するのは犯罪です」と言います。でも、いじめそのものはどうでしょう。殴る、蹴る、押す、物を壊す。これらは本来「傷害罪」や「器物損壊」に該当する行為です。
それなのに、学校も教育委員会も、いじめに関しては“知らぬ存ぜぬ”。いじめっ子ではなく、本来守られるべきいじめられっ子を転校させたという話すらあります。
さらに学校は、いじめの証拠を残させないために、スマホ・タブレット・録音機を持っていないか監視しているという話も聞きます。
「いじめっ子が大人になったらどうなるか」という指摘
X(旧Twitter)で、こんな投稿を見ました。
「いじめっ子が長じて教師や教育委員会、警察に所属している。いじめられっ子はPTSDや人間不信を抱え、社会でうまくいかず精神障害になる人も少なくない。」
この構図、私は正直、理解できてしまうんです。
いじめっ子を救う教育とは何か
私は、いじめられた側の人間です。だからこそ、こう思ってしまう。
「SNSにさらされるのは仕方がない。嫌なら、最初からいじめなければいい。」
でも同時に、こうも考えます。
いじめっ子を“地獄に落とす”ことが、本当に教育なのか。
いじめをした子どもが、
- なぜそんな行動をしたのか
- どんな背景があったのか
- どうすれば再発を防げるのか
本来はそこを丁寧に見ていくべきなのに、今の日本の教育は「隠す」「なかったことにする」「責任を回避する」に全力を注いでいるように見えます。
いじめられた側としての、私の結論
私はいじめられた経験を持つ人間として、「いじめは絶対に許されない」と強く思っています。
でも同時に、「いじめっ子をただ罰するだけでは、何も変わらない」とも思っています。
必要なのは、“いじめられた子が守られ、いじめた子が更生できる教育”なのではないでしょうか。
いじめは、子ども同士の問題ではありません。社会全体の問題です。40年前の私のような子どもを、これ以上生み出さないために。
小学校六年生の時にくれた、ひとつの救い
小学校六年生の時、私にはひとつだけ救いがありました。学年一のイケメンだった植田(仮名)くんが、私をかばってくれたのです。帰りの会で、私へのいじめについて堂々と問題提起してくれました。
だから今も、イケメンさんが好きなのかもしれません。ただし、そのおかげで余計に女子からいじめられることにもなったのですが……。女性の嫉妬は、本当に怖い。
植田くん。あの時は、本当にありがとうございました。あなたは中身までイケメンでしたよ。

