高知で感じた「出口のない箱」―地方に生まれた私の社会論

人生

四方をつるつるの箱の中で生きるということ ― 高知から考える「日本の社会」

私は高知出身です。他の地方のことはわからないけれど、高知に生まれると、四方をつるつるの箱の中に閉じ込められているように感じていました。
出ていこうにも、生活することで精いっぱいで、引っ越し代や、引っ越し後に仕事を探すための費用を貯めることもできない。
そんな場所で育ったひとりとして、今日は少し「社会」の話を書いてみます。


高知に生まれるということ ― つるつるの箱の中

高知にいると、四方をつるつるの箱の中に閉じ込められているような感覚がありました。
外に出たい、違う場所で生きてみたいと思っても、その箱の壁には足かかりがない。

働いても働いても、生活するだけで精いっぱい。
引っ越し代を貯める余裕なんてない。
「じゃあ工場で働けば?」と言われても、知り合いの話を聞けば、めちゃくちゃきつくて続かない仕事も多い。

自分の力で「高知を出る」と壁を登ろうとしても、足をかける場所がない。
求人を見ても、まともな会社は少なく、ブラック企業のようなところばかりが目につく。
私が正社員で勤めていた会社も、いわゆる“闇会社”でした。

田舎には、そういう会社がいくらでもある。
そこで生まれ育ったから、私は小学生の頃から、何もかも諦めていたところがありました。


たまたま開いた「外への出口」

そんな私が高知を出られたのは、たまたま出会った夫が転勤族で、有能な人だったからです。
彼と一緒に暮らすことになり、いろいろな場所に引っ越しをして、そこで少しずつ経験を積むことができました。

高知を出る寸前、友人から電話がかかってきました。
「どうやって高知から出る方法を見つけたの?」と聞かれ、
「彼氏が県外にいて、一緒に暮らすから」と答えると、
電話の向こうで、彼女は少し悲しそうにこう言いました。

「私も高知を出ていきたかったな」

その声が、今でも心に残っています。
あのときの彼女の気持ちは、きっと、あの箱の中に残されたままの人たちの気持ちそのものだったのだと思います。


今の日本を見て、ふと湧いてくる疑問

そして現在。
ニュースなどを見ていると、貧しい国から来たとされる人たちが、高額な飛行機代や引っ越し代を somehow 用意して、日本にどんどん入ってきているように見えます。

そこで、私はどうしても気になってしまうのです。
その交通費や引っ越し代は、どこから出ているのだろう? と。

AIはいろいろ言いますが、結局のところ大きな資金源があるんですよね。それを私は今自民党が独裁政権をしている日本政府だと考えています。そしてそれは私たちの税金で、政治家も大きな中抜きを行っているというのが現実だと思います。

さてそれが日本政府や制度の枠組みの中で支えられているのだとしたら、なぜ同じように、田舎で苦しんでいる人たちの「引っ越し代」は出してもらえないのだろう?
働きたくても、田舎には仕事がない人だって多くいるのに。

地方で生まれ育った日本人が、出口のない箱の中であきらめながら生きている一方で、
何の関係もないように見える外国人がどんどん入ってきて、手厚く扱われているように感じる。
そう感じてしまう人がいるのも、無理はないのかもしれません。


日本は鎖国さえ考える時点に来ているのではないか

私は外国人を日本に入れることは反対です。私自身は「鎖国」をするべきだと思っています。それは最近増えた外国人の性犯罪や窃盗、殺人、交通事故について情報を得た結果です。

ですが、私が今問いかけたいのは
「なぜ、地方で生まれた人たちの“出口のなさ”は、こんなにも長いあいだ放置されてきたのか」
ということです。

・地方の賃金は低いまま(違法だと理解しているのに低い給料で働かせている事業主も存在)
・まともな仕事は少なく、ブラック企業が生き残りやすい
・移動コストは高く、情報も人脈も乏しい
・「出たい」と願う若者の声は、統計にもニュースにもほとんど乗らない

この構造の中で、私のように「たまたま出口を見つけた人」もいれば、
あの友人のように、今も箱の中にいる人もいる。箱の中で干からびていくしかない絶望を噛みしめる気持ちは政治家には理解できないでしょう。


あの箱の中にいる誰かへ

私は、たまたま外に出ることができた側の人間です。
でも、心のどこかで、あの箱の中にいる人たちのことを、ずっと考えています。

「私も高知を出ていきたかったな」
あのときの友人の声は、今も私の中で響き続けています。

地方で生まれた人が、
「生まれた場所によって、人生の選択肢がこんなにも違うのか」
と、子どもの頃から諦めてしまうような社会であってほしくない。

だからこそ、私はこうして言葉にしておきたいのです。
あの箱の中で、今も静かにあきらめている誰かがいることを。


おわりに ― 社会は、見えない箱の形をしている

社会は、ときどき「見えない箱」の形をしています。
その中にいるとき、人はそれが箱だと気づけないこともある。

私が高知で感じていた「四方をつるつるの箱」の感覚は、
きっと日本のあちこちに、形を変えて存在しているのだと思います。

もしこの文章を読んで、
「自分もあの箱の中にいる」と感じた人がいたなら、
あなたのその感覚は、決して間違っていないし、あなただけのものでもありません。

そして、いつか本当に、
生まれた場所によって、人生の可能性が閉じられてしまわない社会になりますように。
そんな願いを込めて、今日はここまでにします。

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