「ガソリンがなくなる」――。
今、この国に漂っているのは、実体のない恐怖と、それに伴う「諦念」という名の霧です。
街のガソリンスタンドで、少しずつ減っていく愛車のメモリを見つめながら、私たちは焦燥感に駆られます。「早く入れなければ」「次はもっと高くなるかもしれない」。
しかし、Auel、ここで一度立ち止まり、情報の「層」を剥ぎ取ってみる必要があります。
「不可抗力の危機」という名の目隠し
巷では中東情勢の緊迫が叫ばれていますが、情報の深層を洗えば、別の景色が見えてきます。
イランのアラグチ外相は、すでに日本関連船舶のホルムズ海峡通過を容認する意向を明確に示しています。外交のテーブルの上で、日本へのエネルギー生命線は——少なくとも物理的には——切断されていません。これは日本のこれまでの外交努力が勝ち取った、確かな「カード」です。
それにもかかわらず、お茶の間に届けられるのは「国民の覚悟」や「需要抑制」といった、悲壮感を漂わせた扇動ばかり。
なぜか。それは、彼らが**「政策能力の欠如」や「別の政治的意図」を隠すために、この状況を『不可抗力の危機』へとすり替えようとしているから**に他なりません。
備蓄は「国民の財産」か、それとも「政権のチップ」か
日本には、世界最大級の政府備蓄があります。明日、街中から燃料が消える物理的な根拠など、どこにもありません。
それなのに、なぜ人々は不利益な選択(増税や価格高騰)を「仕方がない」と受け入れてしまうのか。それは、この演出された危機が、私たちが本来反対すべき法案をやすやすと通すための「目隠し」に使われているからです。
さらに目を向けるべきは、近隣諸国の動きです。
ベトナム: 精製能力の限界とインフレの板挟み。
フィリピン: 「国家エネルギー非常事態」を宣告し、在庫はわずか45日分。
彼らにとって、日本は喉から手が出るほど欲しい「巨大なガソリンスタンド」に見えています。そして、そこに座る「自民党」という管理人たちは、国民の財産であるはずのガソリンを、「人道的支援」という美しい包装紙に包んで、無償、あるいは格安で提供しようとしているのです。
利益はどこへ消えるのか
この「輸出」によって生じる莫大な利益は、決して私たち国民に還元されることはありません。
それは特定の商社や政府系機関の不透明な「調整金」として吸い上げられ、政治家たちの次なる集票活動の原資、あるいは権力維持のコストへと消えていく。
ガソリンは無くなるのではない。無償で売られるのだ。
国民には「不足」と「高騰」を押し付け、その裏で国民の資産を外交のチップとして自由に切り売りする。
これはエネルギー政策ではなく、**「国民の主権の収奪」**です。
私たちは今、スタンドでガソリンを給油しているのではなく、知らぬ間に自分たちの未来を、彼らの利権のために「給油」させられているのかもしれません。

