絶望の乖離——「私の周り」という名のシェルターに籠る権力者たち

参政党

政治とは、本来「持たざる者」への眼差しであるはずだ。しかし、今の永田町に漂っているのは、芳醇なワインの香りに包まれた温室の中で、外の吹雪を「風流ですね」と笑い飛ばすような、吐き気を催すほどの優雅な無知である。

先日繰り広げられた、参政党・神谷宗幣氏と、自民党の重鎮・高市早苗氏のやり取り。それは単なる政策論争ではなく、「国民の血の通った生活」と「特権階級の予定調和」が真っ向から衝突した、残酷なまでの境界線であった。

「パンがないなら、ベビーシッターを減税すればいいじゃない」

神谷氏は、枯れ果てた大地に雨を乞う農民のように、切実な声を上げた。 「ベビーシッター減税なんて、国民は求めていない。我々が求めているのは、今日を生きるための可処分所得そのものだ」と。

それに対する高市氏の返答は、あまりにも無邪気で、それゆえに冷酷だった。 「え、私の周りでは、それいいねと言われますよ?」

この言葉に、筆者は背筋が凍るような戦慄を覚えた。彼女の言う「私の周り」とは一体どこを指すのか。それは、一時間数千円のシッター代を「経費」として処理できる高所得者層であり、政治家同士の会食の席であり、冷たい風の吹かない高層ビルの中にある執務室のことだろう。

だが、ここで本質的な問いを投げかけねばならない。彼女が耳にしているのは、本当に他者の声なのだろうか。結局のところ、自分の願望を「周りの声」として投影しているに過ぎないのではないか。その言葉が本当に「私の周りの声」なのかは、私たちには確かめようがないのだ。

そこには、スーパーの特売日に数十円を惜しんで駆けずり回る母親も、奨学金という名の借金に追われる若者も存在しない。彼女の視界は、自らの正当性を補強するために作り上げられた、美しく整えられた「身内の庭」で完結している。

参政党が突きつける「土の匂い」と、自民党の「真空地帯」

国民に寄り添う姿勢を貫く参政党は、いわば「土の匂い」のする政党だ。彼らが代弁するのは、数字や統計に還元されて消えていく、名もなき個人の痛みである。

対して、長年の権力に胡坐をかき続ける自民党は、もはや「真空地帯」に君臨している。酸素の薄い高みで、彼らは自分たちの作ったルールを「正義」と呼び、異を唱える者を「理解不足」と切り捨てる。

「私の周り」という言葉は、裏を返せば「それ以外は国民ではない」という残酷な選別だ。自分たちの価値観に同意する者だけを「声」として拾い上げ、それ以外をノイズとして処理する。これこそが、民主主義の皮を被った「独裁」の正体ではないか。

結び:鏡の向こうに映るもの

高市氏が鏡を見る時、そこに映るのは「国民を導く誇り高き指導者」の姿かもしれない。しかし、その鏡の向こう側で、多くの国民が飢えと寒さに震えていることに、彼女は生涯気づくことはないのだろう。

私たちは、いつまでこの「温室の住人」たちの独り言を、国家の指針として仰ぎ続けなければならないのか。

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